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端島の豆知識

交通事情 ~夕顔丸~

 端島の人々の足である定期船には「せい丸」「つや丸」「夕顔丸」の3隻がありました。中でも、島の人々に愛されたのが会社所有の定期船「夕顔丸」です。「夕顔丸」は1887(明治20)年2月21日に三菱長崎造船所で鉄船の第一号船として建造されました。夕顔丸が長崎港―高島―端島間の就航を始めたのは1931(昭和6)年のこと。当初は長崎港を始点としましたが、1943(昭和18)年頃には高島に移り、1日3便が運航されました。

 端島は地形的に港の建設が不可能でした。そのため島へは「夕顔丸」から「はしけ」に乗りかえて上陸しました。強風や雨など「時化」の日は直接桟橋に上がることができなかったため、縄梯子を使って上陸しました。島への上陸はまさに命懸けだったのです。

 島への上陸を楽に行うため、1954(昭和29)年に完成したのがドルフィン桟橋(可動桟橋)です。しかし初代と二代目のドルフィン桟橋はどちらも台風の被害を受けて流失。1962(昭和37)年には大時化の時でも桟橋に接舷できるように、三代目として人口島が建設されました。

 「夕顔丸」は、75年間の長きにわたり運航を続けました。
 夕顔丸が廃船となったのは昭和37年3月31日。島の人々は、何度となく乗船した夕顔丸に対して特別な愛情を持っていたのでしょう。この日、夕顔丸の最後の就航を見届けようと、多くの人々が港に集まりました。

第1回 数字で見る端島

第2回 端島の生活① ~生活用水~

第3回 端島の生活② ~買い物事情~

第4回 端島の生活③ ~行事~

第5回 交通事情 ~夕顔丸~

第6回 学校・保育園

第7回 娯楽

第8回 子どもたちの遊び

第9回 緑いっぱいの島へ

第10回 災害(台風・火災)

第11回 鉱業所

第12回 端島の閉山とその後