2022年7月20日、第167回芥川龍之介賞と直木三十五賞(いずれも日本文学振興会主催)の選考会が東京・築地の料亭「新喜楽」※1で開催され、芥川賞は高瀬隼子(たかせ じゅんこ)さん(34歳)の「おいしいごはんが食べられますように」(群像1月号)、直木賞は窪美澄(くぼ みすみ)さん(56歳)の「夜に星を放つ」(文藝春秋)が選出されました。尚、高瀬準子さんは2回目のノミネートで芥川賞を射止めました。
※1料亭「新喜楽」の1階で芥川賞、2階で直木賞が選考される。
正賞は懐中時計で、副賞は100万円です。「文藝春秋」9月号(8月10日発売)に受賞作全文と選評が掲載されます。贈呈式は8月下旬、東京都内で開く予定です。
第167回芥川龍之介賞を受賞いたしました。
これを励みに、今後も小説を書き続けていきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。 https://t.co/cjW23Xu5XJ— 高瀬隼子(たかせじゅんこ) (@takase_junko) July 20, 2022
帝国ホテルにて会見が行われ、芥川賞を受賞して出席した高瀬隼子さんは、ゆったりとした口調で、今の心境を語りました。
『とても嬉しいです。ここ(帝国ホテル)に来るまで実感が湧かなくて、行きのタクシーで担当の編集者の方と一緒に(帝国ホテルに)来たんですけど、(会見するまで)「嘘」かもしれない、と言いながら(帝国ホテルに)来ました。びっくりしています。』と驚きを隠せない様子でした。
『また、執筆中は食欲がなかったそうで、記者からタイトルにちなみ「受賞して、おいしいごはんが食べられそうですね!」とイジられると、「(今は)食欲がゼロになっていて、発表を待っている間も気持ち悪くなって…。あした以降になったら食べられると思います」と照れながら答えました。』
また、本作品を書いた経緯については、「社会の中でのりこえてしまったり、持ちこたえてしまったり、がまんしてどうにかしてしまう側の人達、たぶん、そういう人達の内面にあるムカツキみたいなところが自分の中で気になっていたんだと思いますけど、それを書きたいなと思いながら書き始めてこの話になりました。」と答えました。
また、芥川賞受賞については、「芥川賞はスゴ過ぎて、自分とはなんか無縁な別の世界にあるものという感覚があったので今もちょっとよく分からなくてびっくりし続けています。ただこれをきっかけに読んで下さる方が増えると思うので、今一番嬉しいのはそのことです。」と本音をこぼしました。
また、記者会見した高瀬隼子さんは「小説家になるのが夢だったが、芥川賞を取るとは思っていなかった。とてもうれしいが、びっくりしている。『頑張れ』ということだと思う」と喜びについてコメントしました。
また、高瀬隼子さんは2022年7月20日夜、都内の帝国ホテルで会見し「実家の母に電話で受賞を伝えると、大喜びで興奮した様子だった。地元の友達からもメールがきている。今後も頑張れという意味で受賞させていただいたと思うので、書き続けたい」とこれからの抱負を述べた。
- 高瀬隼子さんの誕生日、出身、高校、大学、職業、お住まい、結婚、子供、受賞作品の内容、過去ノミネート作品の内容等のプロフィール(経歴)について
- 高瀬隼子さんの経歴
- 第167回芥川龍之介賞受賞作品(2022年(令和4年))『おいしいごはんが食べられますように』(2022年3月24日発売)の内容紹介
- 第167回芥川龍之介賞受賞作品『おいしいごはんが食べられますように』(2022年(令和4年))書き出し部文の引用
- 高瀬隼子さんの書き方
- 選考委員からの評価
- 第165回芥川龍之介賞候補作品『水たまりで息をする』(2021年(令和3年)) (2021年すばる3月号)、(単行本は同2021年集英社刊(2021年7月13日発売))
- 第165回芥川龍之介賞候補作品『水たまりで息をする』の書き出し部文の引用
- 地元愛媛県からの高瀬隼子さん芥川賞受賞の喜びの声
- 【社説】高瀬隼子さん第167回芥川龍之介賞受賞作品(2022年(令和4年)):社会のひずみ見通す眼力に共感:2022年7月21日(木)(愛媛新聞)
- 『市長』や『知事』も賛辞。高瀬隼子さん、芥川賞「おめでとう」『母校の愛媛県立新居浜西高等学校』も、快挙を祝福。2022年7月21日(木)(愛媛新聞)
- 今回第167回芥川龍之介賞の『候補者(ひらがな)「候補作」(掲載誌)』尚、作者は五十音順・敬称略
- 芥川龍之介賞受賞作品の選考方法
- 芥川賞と直木賞の違い
- 芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)(通称:芥川賞)とは?
- 直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)(通称:直木賞)とは?
- 芥川賞・直木賞への批判
- 芥川賞、直木賞の始まりの経緯と、近年の話題になった芥川賞受賞者と、近年の女性割合の増加について
- 近年の芥川賞受賞者の話題について
- 綿矢りさ(わたや りさ)
- 17歳のデビュー作『インストール』(第38回文藝賞受賞)の作品概要(『文藝』2001年冬季号初出)
- 第130回芥川龍之介賞受賞作品『蹴りたい背中』(『文藝』2003年秋季号初出)(2002年の夏から2003年の夏にかけて書き上げた)
- 金原ひとみ(かねはら ひとみ):高瀬さんと金原さんは交流があります
- 映画『蛇にピアス』
- 又吉直樹(またよし なおき)『火花』(第153回芥川賞受賞・2015年上半期) 229万部(単行本のみ)
- 映画『火花』
- 村田沙耶香(むらた さやか) 『コンビニ人間』(第155回芥川賞受賞・2016年上半期) 102万部(単行本のみ)
- 芥川賞の最年少受賞記録
- 芥川賞の最年長受賞記録
- 芥川賞受賞者の男女比の変化について
- 高瀬隼子(たかせ じゅんこ)さんのプロフィールは?芥川賞とは?のまとめ
高瀬隼子さんの誕生日、出身、高校、大学、職業、お住まい、結婚、子供、受賞作品の内容、過去ノミネート作品の内容等のプロフィール(経歴)について
◆ペンネーム:高瀬隼子(たかせじゅんこ)
(大学時代、「高瀬遊」名義でしたから姓は「高瀬」かもしれませんね)
◆誕生日:1988年生まれ(幼少時から物語や小説が好き)
◆出身:愛媛県新居浜市
◆高校:愛媛県立新居浜西高等学校(文芸部所属)
◆大学:立命館大学文学部(哲学専攻)卒(文芸サークルに所属)
◆職業:教育関係の事務職(社会人になってからは文芸サークル時代の仲間と同人活動を続ける。小説は平日の夜と土日に執筆する。)
◆お住まい:東京都在住
◆結婚:既婚(本好きの夫と2人暮らし)
◆子供:無し
◆モットー:普段からノートに「むかつくな」「ちょっとおかしいんじゃないか」と思うことを書き留めていて、しばしば小説の出発点にしている。「これからも突き詰め、60代、70代になっても考え続けたい」
◆2022年(令和4年)『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子さん)(2022年3月24日発売)で第167回芥川龍之介賞受賞。
◆2021年(令和3年)『水たまりで息をする』で第165回芥川龍之介賞候補となる。
高瀬隼子さんの経歴
◆2006年頃~
立命館大学の仲間を中心とした文芸サークル「京都ジャンクション」を結成し、「高瀬遊」名義で文学フリマ※2などで活動。
※2:文学フリマ(ぶんがくフリマ)は、文学フリマ事務局が主催する文学作品展示即売会。2002年に東京で開催したのをきっかけに、2022年現在全国8都市(札幌、岩手、前橋、東京、京都、大阪、広島、福岡)で年9回開催(東京は2回)しています。
◆2010年頃~
大学卒業後は、教育関係の事務職をしながら執筆活動を続けました。
◆2019年(令和元年)、『犬のかたちをしているもの』(2019年すばる11月号、単行本は20年集英社刊)で第43回すばる文学賞を受賞して作家デビューを飾りました。
◆2020年(令和2年)頃
小説「いい子のあくび」(『すばる』2020年5月号)
◆2021年(令和3年)、『水たまりで息をする』(2021年すばる3月号、単行本は同年集英社刊。(2021年7月13日発売))で、第165回芥川龍之介賞候補。
◆2022年(令和4年)、『おいしいごはんが食べられますように』(2022年群像1月号、単行本は同年講談社刊。)で、第167回芥川龍之介賞受賞。
第167回芥川龍之介賞受賞作品(2022年(令和4年))『おいしいごはんが食べられますように』(2022年3月24日発売)の内容紹介
◆内容紹介
「おいしいごはんが食べられますように」は、「食べ物を通して、人間関係を描いた作品」です。
詳細には、「20代後半の男女3人を主人公に、会社内の人間関係を「食事(「食べる」行為)」に対するそれぞれの思考と絡めながら鋭く描いている作品」です。
生き方の異なる20代後半の男女3人を中心に職場の人間模様が描かれています。具体的には、会社の職場が舞台で、体調を理由に早退が多い女性、あおりを受ける頑張り屋の後輩らの関係を通じ、人々が共生する困難が描かれています。
あらすじは、上司らが表面的にハラスメントを気にする中、無理の利く社員に業務が偏り、嫌悪や侮蔑、怒りがおりのようにたまっていく。上司や同僚との昼食、仕事帰りの食事、懇親会と、もっぱら3人の「食べる」描写を軸に物語は進んでいきます。やがて食べることと、社員の負の感情が絡んでいきます。
内容紹介の一部すると、「二谷(にたに)さん、わたしと一緒に、芦川(あしかわ)さんにいじわるしませんか」の会話で始まり、心をざわつかせる、「仕事」+「食べもの」+「恋愛」を組み合わせた小説です。職場でそこそこうまくやっている二谷(にたに)と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川(あしかわ)と、仕事ができてがんばり屋の押尾の、ままならない人間関係を、食べものを通して描いた傑作となっています。
第167回芥川龍之介賞受賞作品『おいしいごはんが食べられますように』(2022年(令和4年))書き出し部文の引用
『昼休みの十分前、支店長が「そば食べたい」と言い、「おれが車出すから、みんなで、食いに行くぞ」と数人を引き連れ、高速のインター近くにあるそば屋まで出て行った。
二谷(にたに)と藤さんの二人だけが部屋に残った。「昼にしよや」と藤さんが弁当を取り出す。二谷はカップ麺にお湯を注いだ。冷蔵庫を開けると、コンビニ弁当が二つ入っていた。弁当を持って来ている人がいることくらい、支店長だって分かっているだろうに、よしみんなで行くぞ、当たり前のように言うのだ。パックのお茶を取り出して冷蔵庫を閉める。
よしみんなで行くぞ、行かないつもりか、付き合い悪いなあ、と低いトーンでぶつぶつ言った後で急に「支店長命令だぞっ」とわざとらしくはしゃいだ声を出してみたって、ほんとうは行きたくないのに付き合いでしぶしぶ従っている人間がいるというのは想像に難しくないはずだが、そんな想像は捨て去って「行くぞ」言える、支店長のああいうところはすごい、と二谷はまっすぐに感心してしまう。「飯はみんなで食ったほうがうまい」というの支店長の口ぐせだった。前に支店長とカツ丼を食べに行った芦川(あしかわ)さんが、青い顔をしてトイレから出てきたところに鉢合わせたことがある。支店長のペースに合わせて急いで食べたらお腹が痛くなってお腹を押さえていた。芦川さんもおそらく弁当を持ってきていただろう。それで足りるのかと見る度に驚いてしまうような小さな弁当箱を、昼休みになると自分の席の一番下の引き出しから取り出して食べているのを知っている。(続く)』
高瀬隼子さんの書き方
小説を書き始める際はプロット(物語の筋)を立てず、テーマもあまり考えない。執筆する中で主人公らの人物像が徐々に鮮明になり、物語も膨らむ。
書き終わって読み返し、初めてテーマに気づくことが多い。「私には『このメッセージを伝えたい』という気持ちはないんです。書きたくて書いている。どう読み解くかは読者に委ねてしまっている」。
作品に寄せる思い
昨年芥川賞候補となった前作「水たまりで息をする」では、社会で生きづらくなり入浴の拒絶に至る夫と、寄り添う妻の心情をつづった。芥川賞受賞作品は「きつくても、どうにか過剰に社会に適応する側の人間を書きたい」と思ったという。「私自身、毎日、おかしい、許せないと思うことがある。でも何も言わず、何とかこなしてしまう側なんです」。
選考委員からの評価
選考委員を代表して講評を述べた川上弘美※3さんは「職場という小さい集団の中での人間関係を立体的に描いている。いかに書くかの技術が非常に優れており、一面的な善悪ではない人間の多面性がうまく描かれていた」と高く評価した。
第165回芥川龍之介賞候補作品『水たまりで息をする』(2021年(令和3年)) (2021年すばる3月号)、(単行本は同2021年集英社刊(2021年7月13日発売))
◆内容紹介
ある日、夫が風呂に入らなくなったことに気づいた衣津実。夫は水が臭くて体につくと痒くなると言い、入浴を拒み続ける。彼女はペットボトルの水で体をすすぐように命じるが、そのうち夫は雨が降ると外に出て濡れて帰ってくるように。そんなとき、夫の体臭が職場で話題になっていると義母から聞かされ、「夫婦の問題」だと責められる。
読者の反響
単行本の帯のキャッチコピーは「心のざわつきが止まらない」。交流サイト(SNS)に上がった「ホラーだと思った」「怖かった」という感想に「意外だった。そういうふうに読んでもらえるんだなという気づきがあった」。主要な人物の一人の心情を書き込まなかったことが、思わぬ反響を生んだという。
第165回芥川龍之介賞候補作品『水たまりで息をする』の書き出し部文の引用
『夫が風呂に入っていない。衣津実はバスタオルを見て、そのことに気付いた。昨日も一昨日もその前の日も、これがかかってなかったっけ?芝生みたいな色のタオル。
風呂場のドアの外側に、彼女のと夫のと、一枚ずつタオルをかけている。夫のタオルに顔を近付ける。鼻先がやわらかくぶつかる。くさくはない。
洗剤と家のにおいがする。手を洗って、芝生色のタオルで手を拭き、そのま引き抜いて選択かごに放る。洗面台の鏡に向き直り、目じりのしわにファンデーションが固まっているのを、指で伸ばして、明かりを消した。
「ねえ、お風呂入った?」
ただいまの代わりにそう言いながら、リビングのドアを開ける。
あたたまった空気の中に、カップ麺のにおいが漂っていた。台所に視線をやると、シンクに空容器が置いてある。
夫はいつものTシャツと短パン姿でソファに座り、膝に載せたパソコンで動画を見ていた。お笑い番組らしく、たくさんの人間の笑い越えが部屋に響いていた。
「おかえり。遅かったね」
夫がパソコンを膝からよけて立ち上がった。
足元のフローリングにビールのロング缶と柿の種の袋が置いてある。「風呂ねえ」と言いながら彼女の横を通り、カップ麵の容器を掴むと、蓋付きのゴミ箱に捨てた。
「風呂には、入らないことにした」
「入らないことにした?」。。。』
地元愛媛県からの高瀬隼子さん芥川賞受賞の喜びの声
【社説】高瀬隼子さん第167回芥川龍之介賞受賞作品(2022年(令和4年)):社会のひずみ見通す眼力に共感:2022年7月21日(木)(愛媛新聞)
第167回芥川龍之介賞に新居浜市出身高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように」が選ばれた。
愛媛県関係者の受賞は後にノーベル文学賞を受けた内子町出身の大江健三郎さんの「飼育」(1958年)、松山市生まれの吉村萬壱さんの「ハリガネムシ」(2003年)以来。高瀬隼子さんの快挙に敬意を表し、心からお祝いしたい。
芥川賞は半年ごとに発表される文学新人賞で、高瀬隼子さんは昨年も「水たまりで息をする」でノミネートされた。2019年にデビューし、本格的な活動期間はまだ短いものの、力量の高さを示した形だ。
受賞作は食というテーマを通じて思い通りにならない人間模様を切り取った。皆が守りたくなる存在の女性と、その女性に愛憎を抱く男性。仕事でしわ寄せを受ける後輩女性。同じ職場の3者の関係で物語は進む。
他者への理解、多様性を巡る現実の課題を、ひしひしと突き付けてくる内容だ。食事や仕事に対する価値観の違いに焦点を当てながら、人に合わせて生きていく難しさ、重苦しさを軟らかな筆致で浮き立たせていく。
昨年の候補作も時代にあえぐ人たちを繊細に描いた。突然入浴を拒む夫に葛藤する妻―。社会から隔絶されていく夫婦の姿を通じ、普通とそうでない生き方に線引きされがちな現実社会の生きづらさを投影させた。
歴代の芥川賞作品もまた、その時々の時代を映し出したものが多い。さらに今回は、候補全員が女性となったことも話題となった。1935年に賞が創設されて以降、初めてのことだ。
男女格差が解消されず、政治や経済分野を中心に女性の進出の遅れが続く。候補全員が女性で占められたことは、生きる上で障壁を感じる機会が多い女性の作品が、読者の琴線に触れている表れだろう。それは、当たり前と見過ごされがちな社会の理不尽さを気付かせてくれる。まさに文学の力だ。
高瀬さんの受賞は、近年の愛媛ゆかりの作家の躍進ぶりを改めて印象付けた。その本人は2019年にも「犬のかたちをしているもの」で、すばる文学賞を受けている。
2020年にはこのほど、松山を離れた早見和真さんが山本周五郎賞を受賞。山本周五郎賞には松山市在住の宇佐美まことさんも同時に候補に挙がった。同じ年には今治市出身で直木賞作家の黒川博行さんが日本ミステリー文学大賞に選定された。
文壇をにぎわす秀作が相次ぐことにファンの喜びはひとしおだろう。「いつかは小説家になりたい」と心に秘めている後進たちにとっても励みになるに違いない。
高瀬さんは「普段生きていてむかっ、ちくっとしたことをしつこく覚えて書いていきたい」と語っていた。冷静かつ鋭いまなざしで、社会のいびつさや人の心の奥底を見通す高瀬文学にこれからも期待したい。
『市長』や『知事』も賛辞。高瀬隼子さん、芥川賞「おめでとう」『母校の愛媛県立新居浜西高等学校』も、快挙を祝福。2022年7月21日(木)(愛媛新聞)
【石川勝行新居浜市長の話】
◆明るいニュース喜ばしく◆
芥川賞の受賞、誠におめでとうございます。市民を代表してお祝い申し上げる。新居浜市にとっても明るいニュースで、大変喜ばしく感じている。受賞を機に素晴らしい作品を執筆し、ますます活躍されることを期待しています。
【中村時広知事の話】
◆情熱と努力に敬意◆
栄えある芥川賞の受賞を心からお祝い申し上げる。
愛媛ゆかりの作家として3人目(愛媛県内子町出身の大江健三郎さん、愛媛県松山市生まれの吉村萬壱(よしむら まんいち:本名:吉村浩一)さんに続く芥川賞受賞、高瀬隼子(たかせ じゅんこ)(小説家))の快挙を大変うれしく思うとともに、創作へのひたむきな情熱とたゆまぬ努力に深く敬意を表する。今後も愛媛や日本の文化発展に尽力いただくよう期待している。
【地元出身高校の愛媛県立新居浜西高校での喜びの声】
2022年7月21日(木)午後、卒業生の書籍コーナーで高瀬隼子さんの芥川賞受賞を愛媛県立新居浜西高校(新居浜市宮西町4-46)の生徒は喜びました。
愛媛県新居浜市出身の高瀬隼子さんの芥川賞受賞の発表から一夜明けた2022年7月21日(木)、母校の愛媛県立新居浜西高校(新居浜市宮西町4-46)では、生徒や教員らが卒業生の快挙を喜びました。
愛媛県立新居浜西高校の図書室には「新居浜西高卒業生の書籍」コーナーが設けられ、受賞作「おいしいごはんが食べられますように」が、昨年の芥川賞候補作「水たまりで息をする」、デビュー作の「犬のかたちをしているもの」とともに並んでいる。
「新居浜西高卒業生の書籍」コーナーは、2021年「水たまりで息をする」が芥川賞候補作になったことをきっかけに誕生しました。高瀬準子さんや鴻上尚史(こうかみ しょうじ:劇作家、演出家)さんら、卒業生の書籍を1カ所に集めました。
2022年3月には、高瀬隼子さん本人から「おいしいごはんが食べられますように」の献本が学校に届き、図書委員が作製したポップとともに展示しています。
2022年6月16日のノミネート決定後から「芥川賞受賞」「おめでとうございます」といった装飾を作り始めました。2022年7月20日の受賞決定後に完成し、本棚側面を彩っています。図書委員長の高校3年生の松木菜補(なお)さん(18歳)は「2作のノミネートだけでも十分すごいと思っていたが、受賞してすごくうれしい」と話しました。
受賞作を読んでいるところといい「会社を舞台にした話だが、心理描写に共感する部分やざわっとするところがある。読み終えたら他の作品も読んでみたい」と話しました。
高瀬隼子さんが所属していた愛媛県立新居浜西高校の文芸部の後輩で、高校3年の十川祐太(そがわ ゆうた)さん(18歳)は「ノミネートされた時から、受賞したら後輩としてもうれしいと思っていた。芥川賞という存在を少し身近に感じられた」と喜びました。
自身も同校の卒業生という願成寺優(がんじょうじ ゆう)校長は、同窓生のライングループも喜びの声で盛り上がったといい、「芥川賞といういいニュースが聞けてよかった」と祝福していました。
今回第167回芥川龍之介賞の『候補者(ひらがな)「候補作」(掲載誌)』尚、作者は五十音順・敬称略
1935年の創設以来、芥川賞候補者全員が女性なのは初めてのことです。さらに5人中4人が初ノミネートというフレッシュな顔ぶれにもなりました。
◆小砂川チト(こさがわ チト)「家庭用安心坑夫(かていようあんしんこうふ)」(群像6月号)
◆鈴木涼美(すずき すずみ)「ギフテッド」(文學界6月号)
◆高瀬隼子(たかせ じゅんこ)「おいしいごはんが食べられますように」(群像1月号)
◆年森瑛(としもり あきら)「N/A(エヌエー)」(文學界5月号)
◆山下紘加(やました ひろか)「あくてえ」(文藝夏季号)
芥川龍之介賞受賞作品の選考方法
上半期には前年の12月からその年の5月、下半期には6月から11月の間に発表された作品を対象とする。
候補作の絞込みは日本文学振興会から委託される形で、文藝春秋社員20名で構成される選考スタッフによって行なわれる。
選考スタッフは5人ずつ4つの班に別れ各班に10日に1回ほどのペースで毎回3、4作ずつ作品が割り当てられる。
スタッフは作品を読み、班会議でその班が推薦する作品を選ぶ。
それから各班の推薦作品が持ち寄られて本会議を行いさらに作品を絞り込む。
この班会議→本会議が6~7回ずつ計12~14回繰り返され、最終的に候補作5、6作を決定する。
班会議、本会議ともにメンバーは各作品に○、△、×による採点をあらかじめ行い会議に臨む。
最終候補作が決定した時点で候補者に受賞の意志があるか確認を行い、最終候補作を発表する。
選考会は上半期は7月中旬、下半期は1月中旬に築地の料亭・新喜楽1階の座敷で行なわれる。
選考会の司会は『文藝春秋』編集長が務める。
選考委員はやはりあらかじめ候補作を○、△、×による採点で評価しておき、各委員が評価を披露した上で審議が行なわれる。
芥川賞と直木賞の違い
芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)(通称:芥川賞)とは?
芥川龍之介賞は、新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、無名、新進作家による純文学の一篇の中編・短編作品のなかから、最も優秀な作品に贈られる。
特に、芸術性・テーマ性を重視して評価されます。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われ、賞が授与される。掌編小説(しょうへんしょうせつ)には授与されたことがない。
芥川龍之介賞は、主に無名・新進作家が対象となります。
選考基準は、現在では、芥川賞は原稿用紙300枚以内の小説という括り以外では、説明のできない賞になってきている。
直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)(通称:直木賞)とは?
直木三十五賞は新聞・雑誌(同人雑誌を含む)・単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品の中から優れた作品に贈られる文学賞です。
別名、エンターテインメント系の作品に与えられる文学賞です。
直木三十五賞は無名・新進作家・中堅作家が対象となります。
直木賞の直木とは誰か? 直木賞は直木三十五(なおきさんじゅうご)に由来します。
この直木三十五というちょっとへんてこりんな名前(本人曰く「すみません」)は、本人がつけたペンネームです。 本名は植村宗一(うえむらそういち)さんといい、31歳のときに雑誌で評論を連載することになった際、「直木三十一」という名前をつけたのだそうです。
芥川賞・直木賞への批判
賞のジャーナリスティックな性格はしばしば批判の的となるが、設立者の菊池寛自身は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっています。
そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠(くずかご)」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりと商業的な性格があることを認めています。
菊池寛は賞に公的な性格を与えるため1937年に財団法人日本文学振興会を創設し両賞をまかなわせるようになったが同会の財源は文藝春秋の寄付に拠っており、役員も主に文藝春秋の関係者が就任している(事務所も文藝春秋社内)。
芥川賞、直木賞の始まりの経緯と、近年の話題になった芥川賞受賞者と、近年の女性割合の増加について
芥川賞の始まりは?
大正時代を代表する小説家の一人・芥川龍之介の業績を記念して、友人であった菊池寛が1935年に直木三十五賞(直木賞)とともに創設し以降年2回発表される。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが1949年に復活した。
新人作家による発表済みの短編・中編作品が対象となり、選考委員の合議によって受賞作が決定される。
受賞者の記者会見と、その翌月の授賞式は、長く東京會舘(とうきょうかいかん)で行われていたが、同館の建て替えに伴い、現在は帝国ホテルで行われている。
受賞者には、正賞として懐中時計、副賞として100万円が授与され、受賞作は『文藝春秋』に掲載される。
芥川賞・直木賞の正式な設立まで
1934年、菊池寛(明治21年~昭和23年)は『文藝春秋』4月号(直木三十五追悼号)に掲載された連載コラム「話の屑籠(くずかご)」にてこの年の2月に死去した直木三十五、1927年に死去した芥川龍之介の名を冠した新人賞の構想を「まだ定まってはいない」としつつ明らかにした。
1924年に菊池寛が『文藝春秋』を創刊して以来、芥川龍之介は毎号巻頭に「侏儒(しゅじゅ:一寸法師)の言葉」を掲載し直木三十五もまた文壇ゴシップを寄せるなどして『文藝春秋』の発展に大きく寄与しており両賞の設立は菊池のこれらの友人に対する思いに端を発している。
また『文学界』の編集者であった川崎竹一の回想によれば、1934年に文藝春秋社が発行していた『文藝通信』において川崎竹一(かわさき たけいち)がゴンクール賞(フランスで最も権威のある文学賞のひとつ)やノーベル賞など海外の文学賞を紹介したついでに日本でも権威のある文学賞を設立するべきだと書いた文章を菊池寛が読んだことも動機となっています。
このとき菊池寛は川崎竹一に文藝春秋社内ですぐに準備委員会および選考委員会を作るよう要請し、川崎竹一や永井龍男(ながい たつお)らによって準備が進められた。同年中、『文藝春秋』1935年1月号において「芥川・直木賞宣言」が発表され正式に両賞が設立されました。
設立当時から賞牌として懐中時計が贈られるとされており、当時の副賞は500円であった。
芥川賞選考委員は芥川と親交があり、また文藝春秋とも関わりの深い作家として川端康成、佐藤春夫、山本有三、瀧井孝作ら11名があたることになりました。
芥川賞・直木賞は今でこそジャーナリズムに大きく取り上げられる賞となっているが設立当初は菊池が考えたほどには耳目を集めず、1935年の「話の屑籠(くずかご)」で菊池寛は「新聞などは、もっと大きく扱ってくれてもいいと思う」と不平をこぼしている。
1954年に受賞した吉行淳之介(よしゆき じゅんのすけ)は、自身の受賞当時の芥川賞について「社会的話題にはならず、受賞者がにわかに忙しくなることはなかった」と述べており、1955年に受賞した遠藤周作も、当時は「ショウではなくてほんとに賞だった」と話題性の低さを言い表している。
遠藤周作によれば、授賞式も新聞関係と文藝春秋社内の人間が10人ほど集まるだけのごく小規模なものだったという。
転機となったのは1956年の石原慎太郎「太陽の季節」の受賞です。
作品のセンセーショナルな内容や学生作家であったことなどから大きな話題を呼び、受賞作がベストセラーとなっただけでなく「太陽族」という新語が生まれ石原の髪型を真似た「慎太郎カット」が流行するなど「慎太郎ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。
これ以降、芥川賞・直木賞はジャーナリズムに大きく取り上げられる賞となり1957年下半期に開高健、1958年上半期に大江健三郎が受賞した頃には新聞社だけでなくテレビ、ラジオ局からも取材が押し寄せ、また新作の掲載権をめぐって雑誌社が争うほどになっていた。
今日においても話題性の高さは変わらず特に受賞者が学生作家であるような場合にはジャーナリズムに大きく取り上げられ、受賞作はしばしばベストセラーとなっている。
近年の芥川賞受賞者の話題について
近年記憶に新しいのは、綿矢りさ(わたや りさ) 『蹴りたい背中』(第130回芥川龍之介賞受賞(当時19歳)・2003年下半期:127万部(単行本のみ)発行)と、金原ひとみ(かねはら ひとみ)『蛇にピアス』第130回芥川龍之介賞を綿矢りさと共に受賞(当時20歳):65万部発行です。
綿矢りさ(わたや りさ)
◆ペンネーム:綿矢りさ(わたや りさ):筆名の「綿矢」は、姓名判断を参考に中学時代の同級生の姓から拝借したとのことです。
◆生年月日:1984年(昭和59年)2月1日生まれ
◆出身:京都府京都市生まれ。金閣寺近くの閑静な住宅街で育った。
◆家族:父は服飾関係(着物)会社に勤めるサラリーマン。父は日頃綿矢の自慢はしないが、横浜DeNAベイスターズファンであり、『隣の子がお前のファンらしいから代わるわ』と球場から電話を掛けてきたことがある。
母は短大の准教授(英語教員)という家庭環境にて育つ。3歳下の弟がいる。
幼いころから本や活字に興味を示し「本読んで。本読んで」とねだる子だった。
両親はよく読み聞かせをしたという。小学生のころは江戸川乱歩や那須正幹の『ズッコケ三人組』シリーズ、『不思議の国のアリス』、カニグズバーグ、『クマのプーさん』、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』などを愛読。中学生の頃からマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』や田辺聖子『言い寄る』を繰り返し読む。
◆中学では演劇部に所属。
◆2001年17歳の時に太宰治の作品に引き込まれ、本格的に作家になろうと決めました。
京都市立紫野高等学校在学中17歳のときに『インストール』(第38回文藝賞受賞)でデビュー。
受賞当時17歳であり、第18回(1981年(昭和56年))の堀田あけみ(『アイコ十六歳』)以来20年ぶりの最年少タイ記録として話題となりました。
同作品で2002年(平成14年)に第15回三島由紀夫賞候補。選考委員の福田和也、島田雅彦より高い評価を受けました。
同作品の単行本は、2年後の芥川龍之介賞受賞や映画化の効果も相まって、2008年(平成20年)までに70万部が発行されるベストセラーとなりました。
高校生の時の自身を「引っ込み思案でマイナス思考」だと語り、部屋にこもって小説を書いているのを、両親は受験勉強をしていると思っていたとのこと。2人とも作家になることに反対はしなかった。
また、普通科でも英語に重点を置いているクラスがある高校を選んだため、高校2年生のときにサンフランシスコのインド人の家にホームステイしている。
愛読書として上述したものの他に村上春樹の初期作品(『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』)、よしもとばななの『キッチン』、町田康『人間の屑』などを挙げている。
スティーブン・キングもよく読む作家の一人。好きな映画は『普通の人々』やマリリン・モンローの作品、オードリー・ヘプバーンの作品。かつて、文芸誌のアンケートでは、好きな映画は、洋画なら『愛と追憶の日々』、邦画なら『月光の囁き』と答えた。
またエンターテインメントでは、AKB48の、特に前田敦子のファンでもあり、「(『蹴りたい背中』に登場するアイドルオタクの高校生になぞらえて)確実に私は背中を蹴られる側だと思います」と述べている。
『ときめきメモリアル』のファンとも語っている。
◆2002年(平成14年)に早稲田大学教育学部国語国文学科へ自己推薦入学。(本人は文藝賞だけで入った」と語っている。)在学中は千葉俊二ゼミに所属。
後年、大学時代を振り返って「楽しくなかった」と語りました。本人によれば、創作活動でスランプに陥り、恋愛にも失敗する一方で、アルバイトに没頭していたという。
大学の卒業旅行では青森県に行き、太宰治の生家、斜陽館に立ち寄りました。
◆2003年(平成15年)大学在学中の19歳の時に『蹴りたい背中』は、第25回野間文芸新人賞の候補となりました。
◆2004年(平成16年)に同『蹴りたい背中』で、第130回芥川龍之介賞受賞(2003年下半期)127万部(単行本のみ)発行。
芥川賞受賞時は綿矢りさは19歳で、20歳の金原ひとみと同時受賞し最年少記録を大幅に更新しました。単行本は『限りなく透明に近いブルー:村上龍(むらかみ りゅう)のデビュー作』以来28年ぶりのミリオンセラーとなりました。
◆芥川賞受賞作『蹴りたい背中』は、周囲に溶け込めない女子高生とアイドルおたくの男子生徒との交流を描いたもので、唯一反対した三浦哲郎を除く選考委員の票をすべて集め受賞が決定した。
「高校における異物排除のメカニズムを正確に書く技倆(ぎりょう)に感心した」(池澤夏樹(いけざわ なつき))、「作者は作者の周辺に流行しているだろうコミック的観念遊びに足をとられず、小説のカタチで新しさを主張する愚にも陥らず、あくまで人間と人間関係を描こうとしている」(高樹のぶ子(たかぎ のぶこ))と各選考委員から高評価を受けました。
芥川賞受賞で「文壇のアイドル」と注目され、ストーカー被害に悩まされたことがある。
2004年(平成16年)に『インストール』が映画化された際もプロモーションに参加せず表舞台へ出ることを避けた。
◆綿矢りさ(わたやりさ)の受賞と前後してこの時期10 – 20代前半の作家のデビューが相次ぎ、若年層の活躍を印象付けた。
◆2006年(平成18年)3月に早稲田大学を卒業。以降、京都で専業作家として活動に入る。
『蹴りたい背中』で2005年度早稲田大学小野梓記念賞<芸術賞>、校友会稲魂賞を受賞。同年末に3年半ぶりの長編となる『夢を与える』を発表。
◆2007年(平成19年)には、専業作家となってからはメディアの取材にも応じるようになり、初のサイン会も開いた。
◆2008年(平成20年)、第26回京都府文化賞奨励賞を受賞。同年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出される。
同年春より読売新聞で書評委員を務める。
◆2010年(平成22年)、『勝手にふるえてろ』が第27回織田作之助賞大賞候補。
◆2012年(平成24年)、『かわいそうだね?』で第6回大江健三郎賞を受賞。同年、京都市芸術新人賞を受賞。
◆2014年(平成26年)12月、2歳年下の霞が関勤務のキャリア国家公務員の男性と結婚。
結婚の4年半前に小説の設定のため取材先を探していた際に出版社から紹介され、理系大学院生(菌を繁殖させる研究をしていた)だった彼と知り合ったとのこと。地黒で笑顔の明るく、雰囲気的には沖縄のシーサーに似ているとインタビューで明かしている。
◆2015年(平成27年)冬に第1子男児を出産。妊娠中には谷崎潤一郎『卍』を読んでいたという。
その背景として「もともと同性愛の映画や小説はよく観たり読んでいて、耽美な世界観の作品が好きで、自分も描いてみたいなと思っていた」と明かし、出産後の『生のみ生のままで』発表につながっている。
◆2019年(令和元年)、『生のみ生のままで』で第26回島清恋愛文学賞を受賞。
17歳のデビュー作『インストール』(第38回文藝賞受賞)の作品概要(『文藝』2001年冬季号初出)
高校生活から突如脱落した朝子が、小学生のかずよしに誘われて風俗チャットを体験する、という内容で、綿矢の処女作品です。
高校2年生の冬休みを使って一気に仕上げた。最初はシャープペンシルで大学ノートに書いていたが、後にワープロで仕上げました。
作中に出てくる風俗チャットは綿矢の創作であり、存在を確認していたわけではありません。
文藝賞選考では4人の審査員に絶賛され満場一致で受賞。
第15回三島賞選評では福田和也は「話者の意識の構成、エピソードの継起の仕組みといい、きめ細かく構成されていて瑕疵がなかった」として、同じくインターネットを主題とした阿部和重『ニッポニアニッポン』よりも高い評価を与えている。
映画『インストール』は、「思春期を迎えた17歳の女の子の内情をリアルに描いた青春ドラマ」とされる
◆見どころ
原作は綿矢りさが17歳の時に書いたデビュー作。ヒロインを務めた上戸彩が、女性なら誰もが経験したことのある焦りや何となく不安な気持ちを見事に体現している。
◆ストーリー
平均そこそこの毎日に突然脱力し、学校へ行くのをやめた朝子は、制服を着て家を出て母の出勤を確認して戻る。もう17歳という焦燥感と、まだ17歳という安心感。そんな朝子が捨てたPCを拾った変わり者の小学生男子は、そのPCをインストールし直し。。。
◆ここがポイント!
共演は中村七之助、神木隆之介、菊川怜、小島聖、田中好子ほか。
第130回芥川龍之介賞受賞作品『蹴りたい背中』(『文藝』2003年秋季号初出)(2002年の夏から2003年の夏にかけて書き上げた)
周囲に溶け込むことが出来ない陸上部の高校1年生・初実(ハツ)と、アイドルおたくで同級生の男の子・にな川との交流を描いた作品。
書き出しの部分(「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。
細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。」)について、芥川賞選考会で三浦哲郎は「不可解な文章」だと評したが、他の9人の選考委員の支持を得て受賞となった。
文学賞の批判本『文学賞メッタ斬り』を出した豊崎由美、大森望は「とてもとても、容姿に恵まれた人が書ける小説じゃない」「下手な書きかたしちゃうと、低レベルのいじめ話か、つまらない恋愛小説みたいになって閉じちゃいそうな話を、絶妙に開いたまま上手に物語を手放してる器量には舌を巻きます」と絶賛している。
金原ひとみ(かねはら ひとみ):高瀬さんと金原さんは交流があります
◆生年月日:1983年8月8日生まれ
◆日本の小説家
◆東京都出身。
◆文化学院高等課程中退。小学校4年生のとき不登校になり、中学、高校にはほとんど通っていない。小学6年のとき、父親の留学に伴い、1年間サンフランシスコに暮らす。
◆小説を書き始めたのは12歳の時。15歳のころリストカットを繰り返す。
中学3年生の時、父が法政大学で開いていたゼミに、「めいっ子の高校生」として参加。20歳の時、周囲の勧めを受けてすばる文学賞に応募した。
◆2003年、『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞。
◆2004年、同作で第130回芥川龍之介賞を綿矢りさと共に受賞しました。翌年に集英社の担当編集者と結婚しました。
◆高瀬隼子さんと金原ひとみさんとは、交流があります。
「金原ひとみさんとピクニックに行って私小説を書く」という、夢のような・奇怪な経験をしました。 https://t.co/g3jZ7xqbHA
— 高瀬隼子(たかせじゅんこ) (@takase_junko) July 7, 2022
映画『蛇にピアス』
◆鬼才、蜷川幸雄監督が心と体の痛みを糧に生きる若者を描いた衝撃ドラマ(2008年ドラマ化)。
◆見どころ
20歳で芥川賞を受賞した金原ひとみの同名小説を、蜷川幸雄が映画化。吉高由里子が19歳の少女の心の揺らめきを見事に体現し、バイオレンス描写でも物議を醸した問題作。
◆ストーリー
蛇のように舌先が割れた“スプリット・タン”を持つ男・アマと出会った19歳のルイ。アマの紹介で彫り師のシバとも知り合った彼女は、自らの舌にピアスを開け、背中には入れ墨を彫る。痛みと快楽に身を委ねるルイだったが、どこか満たされぬ思いを抱え…。
◆ここがポイント!
小栗旬、唐沢寿明、藤原達也ら“蜷川組”の豪華俳優陣が特別出演しているので、注目を。
又吉直樹(またよし なおき)『火花』(第153回芥川賞受賞・2015年上半期) 229万部(単行本のみ)
羽田圭介(はだ けいすけ)「スクラップ・アンド・ビルド」と同時受賞。売れない芸人の主人公と天才肌の先輩芸人との交友を描いた作品。お笑い芸人では初の受賞。単行本の累計発行部数は229万部を突破し、芥川賞受賞作品として歴代1位の単行本部数となる。
映画『火花』
◆又吉直樹の原作を菅田将暉と桐谷健太の共演で映画化、鮮烈な輝きを放つ青春ムービー
◆見どころ
芥川賞を受賞したピース・又吉直樹の大人気同名小説を、又吉の先輩芸人でもある板尾創路が映画化。夢と現実の狭間で奮闘する若者たちのリアルな姿が熱く愛しい。
◆ストーリー
若手コンビ「スパークス」としてデビューするも芽が出ない芸人・徳永は、営業先で先輩芸人の神谷と出会う。
神谷は“あほんだら”というコンビで常識の枠からはみ出た漫才を披露、その奇抜な芸風と人間性に惹かれた徳永は、神谷に弟子にしてほしいと申し出る。
村田沙耶香(むらた さやか) 『コンビニ人間』(第155回芥川賞受賞・2016年上半期) 102万部(単行本のみ)
2016年の発売から年内に50万部を超えてからもじわじわと売れ続け、2年を経て100万部に到達した。
芥川賞の最年少受賞記録
①:綿矢りさ | 『蹴りたい背中』2003年下半期(第130回)19歳11か月 |
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②:金原ひとみ | 『蛇にピアス』2003年下半期(第130回)20歳5か月 |
③:宇佐見りん | 『推し、燃ゆ』2020年下半期(第164回)21歳8か月 |
④:丸山健二 | 『夏の流れ』1966年下半期(第56回)23歳0か月 |
⑤:石原慎太郎 | 『太陽の季節』1955年下半期(第34回)23歳3か月 |
⑥:大江健三郎 | 『飼育』1958年上半期(第39回)23歳5か月 |
⑦:平野啓一郎 | 『日蝕』1998年下半期(第120回)23歳6か月 |
⑧:青山七恵 | 『ひとり日和』2006年下半期(第136回)23歳11か月 |
⑨:村上龍(りゅう) | 『限りなく透明に近いブルー』1976年上半期(第75回)24歳4か月 |
尚、国際的に有名な村上春樹は、『風の歌を聴け』で、第81回芥川龍之介賞候補です。また、村上春樹の『1973年のピンボール』は、第83回芥川龍之介賞候補作品です。村上春樹は芥川賞受賞はしていません。
芥川賞の最年長受賞記録
①:黒田夏子 | 『abさんご』2012年下半期(第148回)75歳9か月 |
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②:若竹千佐子 | 『おらおらでひとりいぐも』2017年下半期(第158回)63歳 |
③:森敦(あつし) | 『月山』1973年下半期(第70回)61歳11か月 |
④:三浦清宏(きよひろ) | 『長男の出家』1987年下半期(第98回)57歳4か月 |
⑤:米谷ふみ子 | 『過越しの祭』1985年下半期(第94回)55歳2か月 |
芥川賞受賞者の男女比の変化について
今回芥川賞にノミネートされた5作品は全員が女性作家です。近年躍進を続ける女性の作家たち、なぜ、ここまで存在感が高まっているのでしょうか。その背景に迫ります。
明治大学の伊藤氏貴教授によれば、過去の芥川賞受賞者の男女比について、第1回~166回(2022年1月)までの統計を取ると、『女性:男性=53:124』、即ち、「女性の受章者は約3割」でした。
他方で、平成(第102回)~167回(2022年7月)までの統計を取ると、『女性:男性=33:44』、即ち、「女性の受章者は約4割」と女性割合増加していることが分かります。
このように、最新のデータである2022年1月までは、女性が3割受賞していました。ただ、平成以降の受賞者に絞って見てみると、女性の割合は、約4割まで増えてきているというのが現状です。女性作家の存在感の高まりの背景に何があるのでしょうか。
「女性作家ならでは」 社会に感じる違和感を題材にする
一つのきっかけとなったのは、1986年に男女雇用機会均等法が施行され、翌年1987年、芥川賞、直木賞に、女性初の選考委員が誕生しました。その後、女性の社会進出は増加していきました。
その中でも意識に変化があったといい、以前は「当たり前」だと思っていた社会、即ち、「男性だけの社会」から、近年では「当たり前ではない」社会に変化し、「男性の中に女性が存在する社会」が一般的になってきています。
そんな世の中で、「女性作家ならでは」 社会に感じる違和感、即ち、女性から見た、男性社会への違和感、こうしたものに目を向けられるようになった時代であり、その変化が背景にあります、と明治大学の伊藤氏貴教授は話しました。
女性作家の席巻の背景には、作家は社会への違和感を感じ、それを題材に選ぶ傾向があると言います。
世界経済フォーラムの統計によれば、昨今も話題となった「ジェンダーギャップ指数※4」で、日本は116位です。
※4:ジェンダーギャップ指数とは各国の男女格差を数値化したものです。その構成要素は、①教育分野(識字率、初等教育就学率、中教育就学率、高等教育就学率の男女比)、②経済分野(労働参加率、同一労働における賃金、推定勤労所得、管理的職業従事者、専門技術の男女比)、③政治分野(国会議員、閣僚、最近50 年における行政府の長の在任年数の男女比)、④健康分野(出生時性比、平均寿命の男女比)
日本大学創立以来初の女性理事長の誕生、即ち、『林真理子(学校法人日本大学理事長)(現在、直木賞選考委員)を初め女性の社会進出』という女性のトップ就任が大きなニュースとなして話題になりました。
このような社会情勢から、女性作家が「問題提起したい」と感じる世の中が、まだ、日本にあるということが背景にありそうです。
では、その女性作家たちはどんな作品を描いているのか。
“女性作家ならでは”のリアルな表現を見てみます。
こういったリアリティーが女性作家の魅力の一つですが、伊藤教授曰く「頭では男女間のギャップを理解していても、実感することが難しい」といい、女性作家は日常のちょっとした変化、違和感を見つけ、共感できる「読みたいテーマ」であることが多いと話します。
さらに、「よりリアリティーのある表現だからこそ、その“違和感”が伝わりやすい」と評価します。(めざまし8「わかるまで解説」2022年7月20日フジテレビで放送)
高瀬隼子(たかせ じゅんこ)さんのプロフィールは?芥川賞とは?のまとめ
◆ペンネーム:高瀬隼子(たかせじゅんこ)
(大学時代、「高瀬遊」名義でしたから姓は「高瀬」かもしれませんね)
◆誕生日:1988年生まれ(幼少時から物語や小説が好き)
◆出身:愛媛県新居浜市
◆高校:愛媛県立新居浜西高等学校(文芸部所属)
◆大学:立命館大学文学部(哲学専攻)卒(文芸サークルに所属)
◆職業:教育関係の事務職(社会人になってからは文芸サークル時代の仲間と同人活動を続ける。小説は平日の夜と土日に執筆する。)
◆お住まい:東京都在住
◆結婚:既婚(本好きの夫と2人暮らし)
◆子供:無し
◆モットー:普段からノートに「むかつくな」「ちょっとおかしいんじゃないか」と思うことを書き留めていて、しばしば小説の出発点にしている。「これからも突き詰め、60代、70代になっても考え続けたい」
◆2022年(令和4年)『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子さん)(2022年3月24日発売)で第167回芥川龍之介賞受賞。
◆2021年(令和3年)『水たまりで息をする』で第165回芥川龍之介賞候補となる。