2022年の24時間テレビドラマは、戦没画学生にまつわる物語「無言館」に決定しました。
今回のドラマ「無言館」で、浅野忠信さんが演じる主人公のモデルになっている窪島誠一郎は実在する人物なのですが、どのような人物なのでしょうか?
そこで今回の記事では、窪島誠一郎さんの経歴やプロフィール、家族などについて調べてみました。
窪島誠一郎の経歴
窪島誠一郎さんの経歴を調べてみると、とても多才なことが分かりました。
窪島さんは、幼い頃に靴の修理業を営んでいた夫婦に引き取られ育てられます。その後、海城高等学校を卒業し、深夜喫茶のボーイやホテルの従業員、珠算学校の手伝いなど様々な仕事をしながらお金を貯め、21歳のときに育ての両親の店でスナックをはじめました。
その後も支店を出すなど事業を拡大し、画廊を経営したり本を執筆したりとマルチな才能を発揮されています。
- 1964年 小劇場キッド・アイラック・アート・ホールを設立
- 1979年 長野県上田市に信濃デッサン館(現・KAITA EPITAPH残照館)を設立
- 1997年 無言館設立
- 1998年 無言館ものがたりで第46回サンケイ児童出版文化賞受賞
- 2005年 無言館の活動により第53回菊池寛賞受賞
21歳の若さで経営を始め次々と事業を展開されていた窪島さんは、かなりやり手だったことは間違いなさそうです。
そんな窪島さんが無言館を設立しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
窪島誠一郎が無言館を作ったのはなぜ?
無言館を設立のきっかけは、窪島さんが画家・野美山暁治さんから戦没画学生について詳しい話を聞いた時、「生きていれば自分より才能のある画学生たちだった。放っておくと彼らの絵がこの世から消えてしまう」「人間には肉体の命があるが、画家は絵が残っていればまだ死んでいない。」という言葉に共感し、元々画商でもあった窪島さんは絵を集めようと思ったそうです。
そこから絵の収集のために、全国の遺族を一軒一軒訪ねるという地道な作業を約1年半続け、画学生130人の約700点の作品を集めました。
ただ、実際集めた絵を見てみると決して才能がある言える作品ばかりではなかったそうで、画商として多くの優れた作品を見てきた窪島さんとしては、今ある美術館のコーナーの一角に展示しよう。くらいに思っていたそうです。
しかし、「この絵はコンクールで入賞したい。有名になりたい。そんな理由で描いた絵ではない。絵が描きたいという純粋な思いで描かれた絵なんだ」と思いを新たにし、1997年5月1日に「無言館」をオープンしました。
窪島誠一郎のプロフィール
名前:窪島誠一郎
生年月日:1941年11月20日(年齢80歳)
出身地:東京都
日本の著作家、美術評論家、美術館館主
次に、窪島さんにはご家族がいらっしゃるのか調べてみました。
窪島誠一郎の家族は?
窪島さんは北海道出身の方と結婚しており、子供(娘)もいることが分かりました。
また、実の父親は直木賞作家の水上勉さんなんだそうです。
水上勉さんといえば、松本清張、笹沢左保らと並ぶ推理界の量産作家四天王と呼ばれた方で多くの素晴らしい作品を世に出されています。
そんな実の父親と窪島さんが再会するまでには、なんと30年以上かかりました。
窪島さんは、「両親とまったく顔が似ていない」「血液型が違う」ということで義両親が実の親ではないことを確信し、26歳の頃から実親を探しはじめました。探索はとても大変だったそうですが、それから4年後に無事再会を果たしました。
後から分かったことなのですが、窪島さんの家族が住んでいた家から水上さんの家まで、実は目と鼻の先の距離だったのです!しかも、まだ親子だと知らなかった時に窪島さんの娘さんが水上さんの家に迷いこんだ事もあったそうです。
そんなことある?と驚きの連続ですよね。
なにより、窪島さんは本棚に沢山並ぶほど水上勉の作品の愛読されていたそうなので本人が一番驚かれたのではないでしょうか。
父子のエピソードについては窪島さんが本を書かれているので、気になる方は是非読んでみてください♪
まとめ
今回は窪島誠一郎さんの経歴、プロフィールや家族についてまとめてみました。
- 窪島誠一郎さんは、若い頃から商才や文才がありマルチな才能を発揮してしている実業家
- 戦没画学生たちが描いた「純粋な思いで描かれた絵」に心を打たれ、無言館を設立
- 窪島さんは結婚していて子供もいる
- 実の両親を捜し始め、生き別れた実の父親が小説家の水上勉だと知り、30年以上経って再会
2022年の24時間ドラマで放送される「無言館」もどのようなドラマになるのか今から楽しみですね。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。

