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政治経済

伊達忠一の経歴と家族構成!息子と長女の政界ねじ込みは?

伊達忠一経歴と息子、長女の政界入り

伊達忠一が安倍晋三元自民党総裁に統一教会票の割り振りを依頼したと証言して、政界を引退したにもかかわらず、注目を集めています。

伊達忠一とはいかなる経歴の人物なのか。その家族はどうなっているのか、息子や長女は父を継ぐべく政治活動をしているのかなどについてまとめます。




伊達忠一の経歴

伊達忠一氏は、参議院議員を三期務めた自由民主党の大物政治家です。
現在は政治の表舞台から引退し、
札幌臨床検査センター代表取締役会長をしています。

国会議員の任期中に務めた要職は以下

第31代参議院議長
国土交通大臣政務官
内閣府副大臣
自由民主党幹事長代理
自由民主党参議院国会対策委員長
自由民主党参議院幹事長などを歴任

伊達忠一の学歴・経歴の詳細

伊達忠一氏の学歴や経歴の詳細をまとめます。

伊達忠一氏は、北海道の芦別市出身です。

北海道芦別高等学校卒業
北海道立衛生検査技師養成所卒業を経て
臨床検査技師となり、
1963年4月から札幌医科大学付属病院検査部に勤務
1965年9月に札幌臨床検査センター株式会社を設立しました。

北海道議会議員 時代

1983年4月、芦別市から北海道議会議員に初当選。
1987年4月の選挙で落選後
1991年4月の選挙で札幌市厚別区に選挙区を変更し2期目の当選
1995年 3期目再選
1999年 4期目再選

北海道議会議員を計4期務めました。

参議院議員 1期目

2001年 第19回参議院議員通常選挙で参議院議員に初当選。
2004年9月30日 国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣)に就任
(国土関係の施策、北海道開発関係の施策の担当)

参議院議員 2期目

2007年 第21回参議院議員通常選挙で再選。
新党大地・民主党・国民新党が推薦した無所属新人多原香里の猛追を振り切っての再選でした。

自由民主党副幹事長を務める。
(安倍内閣、福田康夫内閣、麻生内閣)

自民党参議院幹事長代理、幹事長代理、国会対策委員会筆頭理事・副委員長などを務める。

2012年、内閣府副大臣(第2次安倍内閣)に就任
(沖縄・北方対策、科学技術などの担当)

参議院議員 3期目

2013年の第23回参議院議員通常選挙でトップ当選で三期目の再選を決める。
2位との差は、40万票の大差でした。

2013年9月 内閣府副大臣を退任
2013年10月 自民党参議院国会対策委員長に就任
2014年9月 自民党参議院幹事長に就任
2016年8月 第191回国会の参議院本会議において参議院議長に選出される。
2017年2月 参議院改革協議会を7年ぶりに設置

伊達忠一の政界引退

2018年11月12日 政界引退を発表

2019年 桐花大綬章受賞
2020年 紺綬褒章受賞

以上、盛りだくさんの伊達忠一氏の経歴でした。
数々の要職を歴任してきていますので、
政治家としての力量(政治力、調整力含む)があったのだろうとうかがい知れる経歴ですね。

伊達忠一の出身大学

伊達忠一氏は大学には行っていません。

伊達忠一氏の最終学歴は、
北海道立衛生検査技師養成所卒業です。

「北海道立衛生検査技師養成所」とは、「北海道立衛生学院」のことで、

北海道立衛生学院は、看護職員を初めとする保健医療技術者の総合的な養成施設として設立された専修学校です。

北海道立衛生学院は、2013年3月31日に、その役目を終え閉校になっています。廃止の伴い、看護師課程は札幌医科大学に移管されました。

学費が道立高校水準であったため、他の看護閣員に比べて圧倒的に安いという特徴がありましたが、財政難の北海道にとって重い負担となり、閉校せざるをえなかった要因の一つとも言われています。

所在地
〒060-0062
北海道札幌市中央区南2条西15丁目




伊達忠一の家族構成

伊達忠一氏の家族構成は、
妻一人、息子一人、娘一人の4人家族です。

夫:伊達忠一(ちゅういち)
妻:不明
長男:伊達忠応(ただまさ)
長女:不明

伊達忠一の息子(伊達忠応)は前北海道議だが

伊達忠一の息子(伊達忠応)は、「伊達忠應」が正式な名前のようです。

伊達忠一の息子(伊達忠応)氏は、
2022年5月に、父親 伊達忠一氏が会長を務める
札幌臨床検査センターの社長になっていました。

政治家に相応しくない不祥事があり
2度、議員辞職していますので、
実業に専念する方向に舵をきったようです。
※政治活動と不祥事については、後半にて解説

生年月日:1972年7月24日
2001年6月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役
2004年6月 札幌臨床検査センター株式会社 常務取締役
2005年11月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役
2006年6月 札幌臨床検査センター株式会社 常務取締役
2008年6月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長 2014年4月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長管理本部長
2016年4月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長営業本部長
2017年5月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長 2020年4月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長医薬事業本部長
2021年10月 札幌臨床検査センター株式会社 取締役副社長

伊達忠一の息子(伊達忠応)の政治活動まとめ

伊達忠一の息子(伊達忠応)氏の政治活動をご紹介します。
伊達忠応(だてただまさ)氏は、2003年4月13日に行われた北海道議会議員選挙において、厚別区選挙区から自由民主党推薦で立候補し、25,252 票獲得して、北海道議会議員に初当選しました。

2005年10月に、ススキノで飲みすぎ、通行人の男性とトラブルになり暴力行為におよび逮捕されていた件が明らかになり、起訴猶予処分になりましたが、道議を辞職に追い込まれました。

その後、2007年4月13日に行われた北海道議会議員選挙で、同じ厚別区選挙区に立候補し、22,389票を獲得して再選を果たしました。この時は、自由民主党の推薦はもらわず(もらえず?)無所属でした。

再び議員になったのですが、
2007年7月の報道で、
2006年10月中旬に、北海道旭川市に市長選候補者の応援に行き、飲んで、車を運転し、酒気帯び運転容疑で交通切符(赤切符)を切られたことが明らかになり、
再び議員辞職することになりました。

「言葉では到底、表すことのできない親不孝を働いたことを断腸の思いで、おわび申し上げます」と記者会見でコメントし、有権者に対するお詫びよりも、父親の参議院議員選挙への影響についてお詫びしていると、さらに話題になりました。

2回連続して当選後1年も経たずに辞職しているため、
さすがに有権者にも悪いイメージで定着してしまっており、
政治家としては、再起不能状態です。




伊達忠一の長女

伊達忠一の長女は、名前や顔画像は明らかになっていません。
ですが、伊達忠一氏の秘書を務めていた経験もあり、
政界入りが噂されたこともあります。

2011年には、伊達忠一の息子(伊達忠応)が立候補していた札幌市厚別区の選挙区に、伊達忠一の長女を擁立する動きが水面下で進んでいるとの噂も漏れ聞こえてきていました。

事情通によると、「伊達参議は長女を自民党公認候補としてこの選挙区から出馬させるようだ。伊達参議は今期で引退する見通しで、後援会など地盤を引き継げる。長男の忠応さんはジャスダック、札証上場の札幌臨床検査センター副社長として実業界に専念するようだし、長女擁立の可能性は高い」と言う。

伊達参議の長女は、30代で航空会社の客室乗務員の経歴を持つ。

引用:https://hre-net.com/seiji/dousei/1799/

結局、自民党は、花崎 勝氏を公認し、
伊達忠一の長女は立候補しなかった。

その後、政界入りの動きはないものの、
どこかで、登場するかもしれず、
伊達忠一の長女は、要チェックな人物です。

伊達忠一のプロフィールまとめ

最後に伊達忠一のプロフィールをまとめます。

氏名 伊達 忠一
カナ ダテ チュウイチ
生年月日 1939年1月20日
出身地 北海道 芦別市
出身高校
北海道芦別高等学校卒業
最終学歴
北海道立衛生検査技師養成所卒業
職務経歴
札幌医科大学付属病院検査部 勤務
札幌臨床検査センター株式会社 設立
所属政党 自由民主党
派閥 細田派
選挙区 北海道
職業 政治家
臨床検査技師
会社経営
趣味
家庭菜園、ゴルフ、釣り